マクルーハン理論から学ぶ Learn from McLuhanism
マクルーハン理論から学ぶ Learn from McLuhanism
最終学歴/学位: 早稲田大学大学院法学研究科/修士(法学),早稲田大学大学院社会科学研究科/博士(学術)
研究室: 社会情報学部棟608
所属学会: 日本公法学会,全国憲法研究会,憲法理論研究会
専門分野: 憲法学
担当科目: 日本国憲法,憲法Ⅰ・Ⅱなど
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①マクルーハンは、様ざまなものをメディアの名の下に一緒くたにして議論を展開している。ラジオ、テレビ、新聞は言うに及ばず、自転車、自動車、飛行機、また、時計、衣服、住宅、さらには、貨幣、数、オートメーション、兵器までもがメディアとして考察の対象になっている。 ②マクルーハンは、メディアを人間の身体、精神などの拡張と捉えた。テレビやラジオは中枢神経組織(聴覚)の電気的拡張である。また、自転車や自動車は人間の足の拡張であり、衣服は皮膚の拡張であり、住居は肉体の体温調節メカニズムの拡張である。さらに、貨幣は交換したいという衝動の拡張であり、弓矢は手と腕の拡張である(1)。 ③マクルーハンは、言語であれ、法律であれ、思想であれ、仮説であれ、道具であれ、衣服であれ、コンピュータであれ、人間が手を加えた人工物は、すべて物理的な人間の身体および精神の拡張物であり、メディアだとまで言い切る(2)。 ④マクルーハンは、単純に拡張だけが行われるのではなく、拡張された必然的な帰結として、衰退が生じ、切断をもたらすと主張する。すなわち、拡張は切断と表裏一体なのである。例えば、人間の足の拡張たる車輪というメディアは、人間に対して、一面では、高速移動・高速運搬の能力を附与しているにもかかわらず、他面では、歩くという人間の基本機能を麻痺させ、むしろ人間を歩けなくさせているのである。このように、新しいメディアは、我われに拡張と切断の両方をもたらすというのが、マクルーハンの主張なのである(3)。 マクルーハンは、一見、あらゆるものをメディアに含めているかのように思えるが、マクルーハンによるメディアとは、人間の生み出した技術(テクノロジー)の別名であり、人間の所与の能力を何らかの形で外化したもの、拡張したものなのである。そして、そのメディア概念は、①純粋にコミュニケーションに用いられるメディア(例、テレビやラジオ=“電気テクノロジー”)と、②それ以外の能力拡張としての技術メディア(例、活版印刷術=“グーテンベルク・テクノロジー”)との二つに大別しうる(4)。 補注(4)
中田平『マクルーハンの贈り物』(海文堂、2003年)18頁。テレビやラジオを電気テクノロジーと、活版印刷術をグーテンベルク・テクノロジーと呼ぶのは、マクルーハン自身の用語法である。
Marshall McLuhan,The Gutenberg Galaxy,University of Toronto Press,1962,P229-231.邦訳・森常治『グーテンベルクの銀河系』(みすず書房、1986年)。
この点、マクルーハンは、コミュニケーション・メディアによる時代を次の四つに区分している。まず、話し言葉のみが使われた①口誦時代である。最も原始的なメディア時代と言える。つぎに、写本が使われた②書かれた文字の時代である。人間が文字というメディアを獲得した時代である。さらに、マクルーハンがグーテンベルク・テクノロジーと呼ぶ③活版印刷の時代である。ここにおいて人間は、反復可能なメディアを獲得したのである。そして最後に、テレビやコンピュータなど、④電気メディア・電子メディアの時代である。マクルーハンは、テレビとコンピュータを最高度のメディアと位置付けていた。McLuhan・前掲注(1) P308-337.
コミュニケーション・メディアによる時代区分
口誦時代
書かれた文字の時代
活版印刷の時代
電気メディア・電子メディアの時代